親を攻めるとき、大切な事とは

こんにちは。

ukuuyoです。

ありがとうございます。

 

 

誰しも身近な家族に対して、怒りを感じ、「うるせー」、「父親のくせにor母親のくせに」、「ふざけんな」等の悪口を吐いて攻めてないしょうか?私だけじゃないですよね?(汗

親との喧嘩する事は成長する上で必要な経験です!

親と喧嘩した事が思い出せない、覚えがない方については、また別記事で書こうと思います。

激怒, 動揺, 人, 女性, 怒って, ストレス, 狂牛病, 怒り, 式, 不満

 

 

親を攻めるとき、大切な事とは

 

■目次

・親に対しての怒りの正体は、親に対しての期待と自立から逃げるため

・親を一人の人間として認める

・怒りは感謝に変わり、劣等感は自己肯定感に変わる

・おわりに

 

 

 

親に対しての怒りの正体は、親に対しての期待と自立から逃げるため

人は生まれたとき、誰かに頼らなければ生きていけない。

人は他の動物と違い、生まれてすぐに立つことも乳を飲む事もできず、一人で生きていく事ができません。基本的には親がご飯を作って食べさせ、オムツを変え、お風呂に入れ、寂しかったら抱っこしてもらい、親は子どもの事をなんでもやり、子どもはそんな親を頼りにし、何でもやってくれる人と思います。

 

そして子どもは大きくなっても親を何でもやってくれる頼れる人と期待し、そう思い込みます。「親だから私の気持ちをわかってくれて当然」、「親だったら私の事を導いてくれる」、「あなたの育て方が悪かったから結婚もできない」、「あなたの育て方が悪かったから就職できない」等と攻めます。本当は子育てでいっぱいいっぱいで、仕事でいっぱいいっぱいで、不安があり、人間関係に悩み、毎日を葛藤しながら生きてきたどこにでもいる一人の人間なのに。 

 

確かに子どものときに親に対して憎むべき出来事は多々あると思います。「過保護に育てられ、何もできなかった」、「自由にする事を許してくれなかった」、「信じていたのに、裏切られた」、「結果しか見てくれなかった」等、本当に辛い過去があったかと思います。ですが、大人になっても両親を攻めてしまうのは、現状を親のせいにする事で自立から逃げる事ができ、現実から逃げる事ができ、甘える事が可能だからです。

 

 

 

 

親を一人の人間として認める

親のせいにして、攻めていたとしても、何もできない自分を強く自覚し、攻めれば攻める程劣等感を感じるため、本人の劣等感は大きくなり、自己肯定感は小さくなります。そんな負のスパイラルから抜け出すには、親を一人の人として認めるのが第一歩です。

 

小さい頃私は、母親がやりたい事、させたい事を母親の自己満足で無理やり習わされていました。それに加え一般的な主婦と比べて家事が壊滅的に出来なくて、常に反発し、文句を言う毎日でした。そんな中、反発がなくなったのは社会人になった頃、母は高齢出産もあって、私が社会人3、4年経った頃から急に母の老化が進むのが早く感じ、死を意識したときからです。弱々しくなる母を見て、私は頼りになる親ではあなく、そこに一人の人間として生きる老人の姿がありました。

 

「母がいなくなる」そう思ってしまうと今まで母親からたくさんもらっていた物・事がたくさん浮かんで来ます。小さい頃やたらキスされた事、泣いてるときずっと抱っこしてくれた事、小学生のとき母が死なないかと心配したとき、大丈夫よと言ってくれ抱いてくれた事。たくさんの愛情を受け、そして返しきれない愛情を受け取っていた事に気づきました。母が亡くなったことを本気で想像してみたら、嫌な事なんてちっぽけな事だと感じました。

 

 

 

 

怒りは感謝に変わり、劣等感は自己肯定感に変わる

母の死を意識してから、今までの怒りは感謝に変わりました。当時は嫌で嫌でしょうがないと感じていましたが、一人の人間がここまで色々な事をしてくれたのかと考えたら、それがエゴでも何でも愛情表現の一つなんだと思いました。今まで母親の欠点ばかりをみていましたが、母の良い部分にフォーカスを当てられるようになり、必然的に自分の良い部分にフォーカスする事ができました。

 

今までの憎しみから、「親を一人の人間として見ても、酷すぎる、許せん」となるかと思いますが、ただそのような親だからこそ、しなくて良いこと、守られていた事がきっとあるはずです。そのような事を一つでもあればそれを大切にし、そして、自分自身もそのような環境の中で一生懸命に頑張っていたはずです。親を認めるという事は自分自身を認める事でもあります。

 

 

 

 

 おわりに

親に対してわがままを言って、悪口を言って、喧嘩する行為は、少しひねくれているけど、愛情の交流だったんだなぁーと感じています。

 

昨年母が亡くなりました。そんな中、親孝行をもっとしたかった事とか、自分が言った悪口を思い出し罪悪感を感じていましたが、その行動や悪口でさえ、愛情がなければなしえないやりとりや関係性だったかと思うと、昔からの喧嘩は愛情そのものだったと思っています。