簡単に幸せになる方法

こんにちは。

ukuuyoです。

ありがとうございます。

 

 

誰しも幸せになる事は人生の目標の一つではないでしょうか?しかし、幸せになるよう生きていたのにどうも違う気がする、そんな事をぼんやり考えていることに必要な事とは・・・。小さな女の子, 野草, 牧草地, 子, 幸福, 小児期, 子ども, かわいい

 

簡単に幸せになる方法

 

■目次

・幸せって何?

・幸せの基準、厳しくないっすか?

・今ココと死を意識する事で幸せになる

 

 

 

幸せって何?

 

幸せの基準はそれぞれです。「えっ」と思う方もいるかも知れませんが、事実、人によって幸せの基準は違います。 人によっては結婚できて幸せ、お金があれば幸せ、家族と一緒にいると幸せ、美味しいご飯食べていると幸せ等様々です。

 

自分が幸せと思えればそれで幸せです。

 

 

 

幸せの基準、厳しくないっすか?

 

 

そんな中、単純に不幸になりやすい方がいます。それは幸せの基準が厳しい方です。

例えば、親がお金持ちで子どものときにお金に不自由していなかった場合だと、結婚して旦那の収入が低い事で不満を持ち、 幸せを感じられない。逆にお金でなはなく、子どものとき、父さんがいつも優しくて、遊んでくれて育った奥さんの場合、今の旦那の対応に不満を持ち、幸せを感じられない。等、その他、人間関係、食生活、掃除、喋り方等様々あります。

 

私の場合、子どものとき母が掃除しない(とてつもないレベル)、ご飯作ったり作らなかったりとめちゃめちゃだった分、妻に対して、ご飯作ってくれる、掃除してくれる度に幸せのハードルが下がっているためにありがてぇ〜と感じます。ただ、母と比べて申し訳ないですが小言が多いので毎回、めんどくせぇ〜と思いますが、逆に妻から与えてもらっているものがたくさんあり、そして子どもがいると嫌な事ばかりではないと感じます。※ストレスが溜まると普通に喧嘩に発展します。

 

っというか、生きている上で良い事も嫌な事もあって当然、人間の頭は生存していくために悪いことをしっかり記憶するようにしているため、悪い事があると幸せと感じている以上に悪い事が頭に残ります。でも、良い事もあるはず、そんな出来事を振り返り大切にし、自分の幸せハードルを下げませんか?それでもどうしても嫌なら、辞めたり、別れたり、捨てたりした方が良い、それが現状より確実に幸せになれるなら。

 

 

 

今ココと死を意識する事で幸せになる

色々と話をしましたが、結論は「幸せのハードル」を下げる事が幸福になる方法です!

具体的にどうやったら幸せのハードルを下げるかと言うと「死」と「今」を意識する事です。今大切な人と楽しんでいる方、自分自身の事で悩み苦しんでいる方、様々な方がいて、様々な出来事がありますが、すべては命あっての事です。普段の生活では死を感じられないかと思いますが、もし自分の命が明日終わるのだとしたら、目の前の妻も子も存在しているだけで有難い、自分自身も存在しているだけで有難い、尊い1日になります。過去は終わり、明日何があるかはわかりません。そんな今ココを意識すると幸せの価値が変わるかも知れません。

 

ちなみに、幸せのハードルを下げる事は自己犠牲でないですからね!これは強く言っておきます。

 

 

 

 

親を攻めるとき、大切な事とは

こんにちは。

ukuuyoです。

ありがとうございます。

 

 

誰しも身近な家族に対して、怒りを感じ、「うるせー」、「父親のくせにor母親のくせに」、「ふざけんな」等の悪口を吐いて攻めてないしょうか?私だけじゃないですよね?(汗

親との喧嘩する事は成長する上で必要な経験です!

親と喧嘩した事が思い出せない、覚えがない方については、また別記事で書こうと思います。

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親を攻めるとき、大切な事とは

 

■目次

・親に対しての怒りの正体は、親に対しての期待と自立から逃げるため

・親を一人の人間として認める

・怒りは感謝に変わり、劣等感は自己肯定感に変わる

・おわりに

 

 

 

親に対しての怒りの正体は、親に対しての期待と自立から逃げるため

人は生まれたとき、誰かに頼らなければ生きていけない。

人は他の動物と違い、生まれてすぐに立つことも乳を飲む事もできず、一人で生きていく事ができません。基本的には親がご飯を作って食べさせ、オムツを変え、お風呂に入れ、寂しかったら抱っこしてもらい、親は子どもの事をなんでもやり、子どもはそんな親を頼りにし、何でもやってくれる人と思います。

 

そして子どもは大きくなっても親を何でもやってくれる頼れる人と期待し、そう思い込みます。「親だから私の気持ちをわかってくれて当然」、「親だったら私の事を導いてくれる」、「あなたの育て方が悪かったから結婚もできない」、「あなたの育て方が悪かったから就職できない」等と攻めます。本当は子育てでいっぱいいっぱいで、仕事でいっぱいいっぱいで、不安があり、人間関係に悩み、毎日を葛藤しながら生きてきたどこにでもいる一人の人間なのに。 

 

確かに子どものときに親に対して憎むべき出来事は多々あると思います。「過保護に育てられ、何もできなかった」、「自由にする事を許してくれなかった」、「信じていたのに、裏切られた」、「結果しか見てくれなかった」等、本当に辛い過去があったかと思います。ですが、大人になっても両親を攻めてしまうのは、現状を親のせいにする事で自立から逃げる事ができ、現実から逃げる事ができ、甘える事が可能だからです。

 

 

 

 

親を一人の人間として認める

親のせいにして、攻めていたとしても、何もできない自分を強く自覚し、攻めれば攻める程劣等感を感じるため、本人の劣等感は大きくなり、自己肯定感は小さくなります。そんな負のスパイラルから抜け出すには、親を一人の人として認めるのが第一歩です。

 

小さい頃私は、母親がやりたい事、させたい事を母親の自己満足で無理やり習わされていました。それに加え一般的な主婦と比べて家事が壊滅的に出来なくて、常に反発し、文句を言う毎日でした。そんな中、反発がなくなったのは社会人になった頃、母は高齢出産もあって、私が社会人3、4年経った頃から急に母の老化が進むのが早く感じ、死を意識したときからです。弱々しくなる母を見て、私は頼りになる親ではあなく、そこに一人の人間として生きる老人の姿がありました。

 

「母がいなくなる」そう思ってしまうと今まで母親からたくさんもらっていた物・事がたくさん浮かんで来ます。小さい頃やたらキスされた事、泣いてるときずっと抱っこしてくれた事、小学生のとき母が死なないかと心配したとき、大丈夫よと言ってくれ抱いてくれた事。たくさんの愛情を受け、そして返しきれない愛情を受け取っていた事に気づきました。母が亡くなったことを本気で想像してみたら、嫌な事なんてちっぽけな事だと感じました。

 

 

 

 

怒りは感謝に変わり、劣等感は自己肯定感に変わる

母の死を意識してから、今までの怒りは感謝に変わりました。当時は嫌で嫌でしょうがないと感じていましたが、一人の人間がここまで色々な事をしてくれたのかと考えたら、それがエゴでも何でも愛情表現の一つなんだと思いました。今まで母親の欠点ばかりをみていましたが、母の良い部分にフォーカスを当てられるようになり、必然的に自分の良い部分にフォーカスする事ができました。

 

今までの憎しみから、「親を一人の人間として見ても、酷すぎる、許せん」となるかと思いますが、ただそのような親だからこそ、しなくて良いこと、守られていた事がきっとあるはずです。そのような事を一つでもあればそれを大切にし、そして、自分自身もそのような環境の中で一生懸命に頑張っていたはずです。親を認めるという事は自分自身を認める事でもあります。

 

 

 

 

 おわりに

親に対してわがままを言って、悪口を言って、喧嘩する行為は、少しひねくれているけど、愛情の交流だったんだなぁーと感じています。

 

昨年母が亡くなりました。そんな中、親孝行をもっとしたかった事とか、自分が言った悪口を思い出し罪悪感を感じていましたが、その行動や悪口でさえ、愛情がなければなしえないやりとりや関係性だったかと思うと、昔からの喧嘩は愛情そのものだったと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを始めるにあたって

こんにちはukuuyoと申します。

 

ご覧頂き有難う御座います。このブログでは、私が興味ある下記3点の事柄について主に取り上げられたらと考えています。

 

1、心理

 

2、育児について

 

3、ライフスタイル

 

私自身心理カウンセラーを行なっている事もあるので、様々な心理学の勉強から、心の問題をについて考察し、このブログで多くの人の気持ちをちょびっとでも軽く出来たらと願っています。

ブログ初心者という事もあり、記事の修正や見づらい内容になるかも知れませんが、宜しくお願い致します。